知れば知るほど茅ヶ崎での暮しが楽しくなる

自分とまちのつながり探し まち歩き体験:香川エリア

貝塚と竪穴式住居跡

茅ヶ崎にお住まいの皆さん、自分のまち、茅ヶ崎についてどのくらい知っていますか?

1947年に茅ヶ崎町から茅ヶ崎市となり、2017年には市制70周年、市内59の地区(町名)に分かれて約24万人弱の人たちが住んでいます。市内でも行ったことのない場所はたくさんあると思います。

まちを知ると、そのまちでの暮らしが楽しくなります。「おいしい茅ヶ崎」では、まちを知るための一つの方法として、「まち歩き」を体験してきました。ガイドをしてくださったのは「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館の会」ボランディアガイドの加藤幹雄さん。今回は、香川エリアのまち歩き体験です。

95年前に開設されたJR相模線香川駅でガイドさんと待ち合わせ

香川駅
茅ヶ崎にお住まいの方でも、JR相模線を利用したことがないという方もいるのではないでしょうか?乗り降りするときは自分でボタンを押してドアを開けるタイプの電車で、初めて利用するときは少し戸惑ってしまうかもしれませんが、とても新鮮な体験です。1921年の相模鉄道の開通に伴い開設された香川駅、こぢんまりとしていて、茅ヶ崎駅からたった2つ目ですがほのぼのとした雰囲気になります。

初めてお会いするガイドの加藤さんと香川駅で待ち合わせ、早速一つ目のポイントに案内していただきます。歩きながら浄心寺(じょうしんじ)へ向かいますが、途中、茅ヶ崎市役所 香川駅前出張所を通ります。2階は香川駅前子育て支援センターとなっていて、香川エリアの再開発に伴って2015年秋に新設されました。駅のそばのこういった施設はとても便利ですね。

子育て支援センター前

約240年前、地元香川のために尽くしたにもかかわらず、処刑されてしまった三橋勘十郎

最初のポイントは、1595年に建立されたと言われている浄心寺(じょうしんじ)。地元のお寺の起源などはあまり気にとめたことはありませんでしたが、400年以上前に造られたものがきちんと残っていること自体、本当にすごいことです。現地に赴き、言い伝えを聞いたり、現存する石碑を実際に見たりすることで、本から得る知識とは全く違う感動があります。

浄心寺には、香川村の名主であった三橋勘重郎(みつはしかんじゅうろう)の供養塔があります。お墓ではなく、供養塔。言い伝えによると、灌漑用水を引いて農地の整備を行ったり、飢饉で苦しむ住民のために、納める年貢を減らしてもらえるよう領主に掛け合うなどして地元のために奔走した人だったのですが、その領主に直訴した罪で処刑されてしまいました。よほど想いが強かったのか、領主に祟って出るようになり、その魂を鎮めるために供養塔が建てられたというわけです。これは約240年ほど前のお話。

それが言い伝えられ、今もこうして私たちに伝えてくださる方達がいるので、まちの歴史や背景を自分の生活と結びつけられるところに感動があります。丸博ガイドの方たちは少しずつこうした言い伝えや史実を調べ、今も新たな発見をしながらまち歩きを少しずつブラッシュアップしているそうです。こうした活動を続けて下さっていることをとてもうれしく思います。

7世紀末〜8世紀頃の人が見た風景

浄心寺を出て北へ向かう途中、駒寄川(こまよせがわ)を渡ります。この川は茅ヶ崎を流れる4つの川のうちの一つで、小出川と合流するまでの約4kmの流れです。

川にかかる「なかどおりはし」を渡ったところで、これから見に行く約1300年前のお役所跡とその手前にあった古代寺院(七堂伽藍)があった頃の風景を想像してみます。

お役所跡と古代寺院跡
おそらく当時周りに大きな建造物などは何もなく、この場所から見たら手前の少し低いところに立派な寺院があり、奥の小高いところにお役所(高座郡衙)があったようです。ここに立っていると、その頃の空気や匂い、日差しや音、花や動物達の営みなども想像してしまいます。

小出川

さらに川沿いに歩いて行くと、古代の船着場(津)があった場所に出会います。これは小出川の改修工事に伴う発掘調査で発見されました。こうして川を利用できる便利な場所だったからこそ、寺院や役所が建てられたと考えられています。

古代寺院跡(七堂伽藍跡)に向かう途中には、なんと5150〜6000年前の貝塚と竪穴式住居跡が見つかっています。教科書で学んだ「貝塚」、茅ヶ崎にもあると聞いてグッと身近に感じました。当然その頃、この辺りには人が住んでいて、海に面していたという証拠です。こうして生活に近いところにある歴史や、その証拠を体感すると、より深く知りたい、その頃の生活を想像してみたいと思うようになるものですね。

古代寺院跡(七堂伽藍跡)

記念碑

住宅と畑に囲まれた中、古代寺院跡(七堂伽藍跡)に記念碑が建っています。土器や礎石などの発見や古くからの言い伝えで、ここには古代寺院があったと言われてきました。その調査・研究を続けるための意思表示として、戦前から続いてきた活動の集大成として、地元有志たちによる記念碑が建てられています。

実際、1978年(昭和53年)の調査の結果、この辺りが古代寺院跡であるということが明らかに。約80m四方を塀に囲まれた立派な寺院だったとされ、7世紀後半から10世紀以降に及びそこに寺院があったことが確認されています。今はその痕跡は土の中ですが、こうした史実を突き止めようとする人達の情熱や、それらを後世に伝えようとする方たちの努力は計り知れません。こうしたこの寺院の存在を突き止め、後世に伝えようとする動きが市の北部であったとは驚きです。現存するものではなく、今はないものを説明するのはとても難しい、と丸博ガイドの加藤さんもおっしゃっていました。その時代に想いを馳せ、想像力を働かせることがまち歩きを楽しむコツでもあります。

なんと約1300年前のお役所跡!

2002年(平成14年)、茅ケ崎北陵高校のグラウンドで、7世紀末〜8世紀前半に営まれた役所(郡衙)跡が発見されました。約1300年も前のものです。

高床式の倉庫や大型の建物があった跡が発見されていますが、それを現地で見ることができるわけではありません。現在は再び高校のグラウンドの下に眠っています。先に訪れた七堂伽藍跡とセットで、貴重な遺跡として2015年に国指定の史跡になっています。

伊右衛門農園

下寺尾の遺跡群から香川、みずきを抜ける際、毎週土曜日開催の「茅ヶ崎海辺の朝市」にも出店している代々続く農家、伊右衛門農園の直売所前を通ります。既においしい茅ヶ崎内おさんぽ茅ヶ崎Vol.1」でもご紹介していますが、こちらは茅ヶ崎の農家で、直売所はとても人気があります。まち歩きをしていると地元の新鮮な野菜などを買える場所があったり、知らないお店を発見できたりします。こういう出会いが楽しみの一つでもありますね。

熊澤酒造

伊右衛門農園の隣には、創業1872年(明治5年)の 茅ヶ崎唯一の蔵元、熊澤酒造があります。敷地内には、酒蔵、ビール工場の他、レストランやギャラリーも併設。2015年にオープンしたソーセージ工房とカフェの建物は東北地方の古民家(築200年)を移築したものです。

熊澤酒造の日本酒や湘南ビールは、市内の酒店等で販売されています。こちらでは、酒類の販売だけでなく醸造もこの敷地内にある酒蔵とビール工場で行っています。本社を含むこの場所は、単なる工場や飲食店ではなく、ギャラリーも併設され、地元作家の作品やイベント等も開催されています。まち歩きは、普段見慣れた商品などの背景や作り手を知るきっかけにもなりますね。

茅ヶ崎にもあった!弥生時代、古墳時代〜奈良時代の”茅ヶ崎人”の暮らした跡

古墳時代、弥生時代、奈良時代、土器、貝塚など、教科書で学んできた歴史。歴史的な印象の強い京都や奈良との繋がりは見えても、地元と関連付けたことはほとんどありませんでした。しかし、茅ヶ崎にもありました。香川の湘南ローンテニスクラブのそばでは、弥生時代後期の集落が発見され、また崖の斜面には横穴古墳も発見されています。「篠山遺跡」と呼ばれる場所です。道から見上げた辺りのことですが、そこだけ見れば当時とあまり変わりがないのかもしれないと思うような風景です。遥か昔の人がそこで生きた証としてのお墓(古墳)。生きた時代は違えど、同じエリアに暮らしていた人たちに想いを馳せる。こんなにも身近に歴史を感じられるところがあるとは思っていなかったので、感動しっぱなしのまち歩きです。

今も現役、80年以上前に造られた灌漑用水

相模川左岸用水

みずきの住宅街を抜け、東に向かって歩いて行くと南北に流れる相模川左岸用水をみることができます。今も相模原市、座間市、海老名市、寒川町、茅ヶ崎市の水田に水を供給する、1930年(昭和5年)から10年の歳月を掛けて作られた灌漑用水です。ガイドさんの説明がなければ、ただの用水路として見過ごしてしまうような規模ですが、80年以上も前に造ったものが今も利用され、四市一町に渡る田んぼが潤っています。

勘重郎堀、始まりの地

両側に畑を望み、さらに東に進んで行くと、先に訪れた浄心寺で供養されている三橋勘重郎が作った灌漑用水路発端の地があります。240年ほど前に地元のために灌漑用水を作り、そして不運にも処刑されてしまった勘重郎。地元住民に慕われた人の名前が今も語り継がれているということには感銘を受けます。

江戸時代の痕跡:道祖神
道祖神


勘重郎堀と同じ場所に、1786年銘の道祖神と庚申塔(こうしんとう)が一緒になったものが祀られています。道祖神とは一般的に村の守り神であり、庚申塔とは庚申講という風習を3年18回続けた記念に造られる塔です。市内には道祖神、庚申塔それぞれ約100体ほどあるそうですが、ここにある石像には珍しく両方の要素が含まれているので、両方として数えられています。こうした石像を建てた理由や、一緒になっている訳を考えてみるのも面白いです。

江戸時代の名奉行、大岡越前守忠相を輩出した大岡家の菩提寺、浄見寺

勘十郎堀からさらに東へ移動、浄見寺へ向かいました。毎年5月に開催される大岡越前祭、テレビ時代劇の「大岡越前」など、「大岡」の名前はよく聞きますが、実際に何をした人なのか、聞かれたら答えられるでしょうか。江戸時代の名奉行、大岡忠相(おおおかただすけ)。忠相は五代目、浄見寺は二代目の忠政が1611年に建立したものです。中には大岡家初代から13代まで、一族のお墓が58基もあります。これらの墓は近くで見ることもでき、それぞれが誰の墓であるかなどわかりやすく表示されています。神奈川県の天然記念物、オハツキイチョウや神奈川県指定文化財の銅造弁財天坐像(どうづくりべんざいてんざぞう)なども有名なお寺です。大岡越前祭の時には、「浄見寺地元まつり」が開催され、地元産野菜の直売や模擬店などの出店もあり盛り上がります。大岡忠相を理解した上で参加すると、さらに楽しめそうですね。

現存する江戸時代末期の住宅、旧和田家(民俗資料館)

旧和田家

浄見寺のすぐとなりに、旧和田家(民俗資料館)があります。これは、萩園の村役人を務めた和田家の住宅として江戸時代末期に建てられたもの。萩園にあったものが今この堤にある経緯としては、重要文化財に指定された後に茅ヶ崎市が寄贈を受け解体、その後現在の場所に移築復元し、現在では民俗資料館となったというものです。

この和田家が建てられたのは1855年。なんと完成までに12年もかかったそうです。江戸時代の茅ヶ崎の典型的な大型民家ということで重要文化財に指定されています。ひんやりとした土間に入ると、当時の農具や機織り機、お飾りやにわとりの寝床などがあり、江戸時代の人たちの茅ヶ崎での暮らしを想像できて楽しいものです。5代に渡り使用されたそうですが、本当に美しい状態で現存しているとは驚きです。

180年以上前の住宅、旧三橋家

先述の香川の農家、伊右衛門農園の三橋家から茅ヶ崎市に寄贈され、現在地に移築されました。1827年に建てられ、1971年(昭和46年ごろ)までの住居として6代に渡り使われていたものです。江戸末期の農家建築の姿がよく残っていて、当時の民具なども展示しながら民俗資料館として公開されています。旧三橋家も旧和田家と同じく、解体後、移築・復元されていますが、中に入ると別の場所から移築されてきたとは思えないほど、ずっとそこにあったと思えるほど馴染んでいます。このままメンテナンスがされ、さらに後世に伝わっていくことを願わずにはいられません。

ちがさき丸ごと発見博物館の会

こうして約2時間にわたってまち歩きを体験してきました。自分だけで色々なスポットを周り歴史的背景などを知るのは難しいですが、茅ヶ崎についてよく知っている人、また学んでいる人にガイドをして頂くと、とても楽しく茅ヶ崎について知ることができます。

今回ガイドをしてくださった「ちがさき丸ごと発見博物館の会」会長、加藤幹雄さん。茅ヶ崎市社会教育課の主催する「ちがさき丸ごとふるさと発見博物館講座」の第一期生です。10年前に受講し、それ以降、少しずつ茅ヶ崎の様々な情報をインプットしながらボランティアガイドを続けてこられました。

今は目で確認できないものを説明することは大変むずかしい、と加藤さんもおっしゃていましたが、見えないからこそ、想像力をフルに働かせて、自分との繋がりを想像することでより楽しさが増してきます。実際ご一緒させていただいて、新しい発見がいくつもありました。今後は旧暦や二十四節気、七十二候、太陽の軌道や月の満ち欠けなど、昔の人たちの感覚や自然の営みも意識しながら暮らしてみると、きっと今までと違った茅ヶ崎暮らしが実現できると思いました。

「ちがさき丸ごと発見博物館の会」では、ある程度の人数が集まり、ガイドさんとの調整ができる日程であれば、ボランティアでまち歩きのガイドを受けて下さいます。今回の香川エリアだけでなく、他のエリアもまち歩きが可能ですので、ぜひ依頼してみてください。

 


詳細情報

▼ちがさき丸ごとふるさと発見博物館に関する問合せ
茅ヶ崎市教育推進部文化財保護担当
0467-82-1111
ホームページ

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