開高健さんぽ! 

開高健さんが暮らし、書き、歩いたラチエン通り

皆さんは、芥川賞受賞作家で、熱心な釣り師でもあり、コピーライターでもある開高健(かいこうたけし)さんが茅ヶ崎市のラチエン通りに暮らしていたことをご存じでしょうか。そして、ラチエン通りに行きつけのお店があったことをご存知でしょうか。

開高健さんは、バックペイン(背中痛・腰痛)に悩み、痛みの緩和のために「林水泳教室」に通い始めます。自宅を出てラチエン通りを北上し、肉屋さんの「香川屋分店」でメンチカツを買い、それを持って蕎麦屋「江戸久(えどきゅう)」でそのメンチカツと盛り蕎麦を食べてから水泳教室に通っていました。水泳を終えた後、今度はラチエン通りを南下して、寿司屋「すし善」に寄り道をして、寿司を摘まんで、自宅に帰るというのがお決まりのコースでした。

今回は、ご自宅であった開高健記念館と行きつけのお店をご紹介いたします。
開高健さんの生活の追体験 “開高健さんぽ”してみませんか?

開高健さんは、1974(昭和49)年に東京都杉並から茅ヶ崎市のラチエン通りに居を構え、1989(平成元)年に亡くなるまで執筆などの活動拠点としていました。その邸宅の土地建物が2003(平成15)年に茅ヶ崎市に寄贈され、開館したのが「開高健記念館」です。

公益財団法人開高健記念会 事務局長(理事)の森敬子さんによると「開高健さんは、44歳のときに妻と娘から離れ、この地に書斎を構えられました。当時は木々がうっそうと茂る雑木林の中にあり、木々の中にこもって創作活動を続けられていました。
なぜ茅ヶ崎に移り住んだのかは、サントリーでの会社員時代の上司や、母校である大阪市立大学の文芸部の先輩が茅ヶ崎に在住していたからという可能性もありますが、はっきりしたことは分かりません。」とのことでした。

開高健さんというと豪放磊落なイメージがありますが、実際にはかなり人見知りが激しく、1日に2人以上会うと疲れるらしくここでひっそりと籠って創作活動や釣り、お酒、宝石などの研究に勤しんでいたようです。

玄関に入ってすぐの部屋には、開高健さんの手書き原稿や取材時に使用したもの、愛用品が展示されています。

開高健さんといえば、「釣り」。 釣り文学を確立したとも言われ、実際に使用したルアーや大物を釣り上げたときの写真なども飾られています。記念館の来訪者の中には、世界各地で大物釣りをする開高健さんに魅せられて来られる方も多々いるようです。

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次の部屋に行くと、開高健さんが初めに書斎として使っていた場所があり、本棚や様々な種類のお酒などが展示されています。

ちなみに、今や毎年解禁で盛り上がる「ボージョレ・ヌーヴォ」は、開高健さんが広めたものだそうで、今でも開高健記念会がその遺志を引き継ぎ、毎年命日の12月9日前後に「開高健とボージョレ・ヌーヴォの会」を開催しているとのことです。
皆さんも「ボージョレ・ヌーヴォ」を飲むときは、開高健さんに思いを馳せながら味わうのもいいのではないでしょうか。

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「哲学者の小径」開高健さんの言葉の碑があります。

後に、妻と娘もこの地にやって来ることに伴い、隣に離れの書斎を建て、開高健さんはそちらに籠って執筆活動を行います。門を入ってすぐ左手にある「哲学者の小径」と名付けられた道を行くと、直接この離れの書斎に行くことができます。

◆メンチカツやシューマイを買っていた肉屋さん「香川屋分店」

開高健さんが、「林水泳教室」に通うときにまず立ち寄ったのが、この「香川屋分店」です。50年程前にこの地に開店した肉屋さんです。

『開高健さんは、林水泳教室に行くとき、必ず立ち寄って、「プールだ!」と言って、メンチカツを購入していました。水泳以外でも、しょっちゅうお見えになって惣菜を購入していました。特に、シューマイが好きで、塩加減などの味付けについて開高健さんより指導を受けたんですよ。』と女将さんの亀井よねこさんは朗らかに話してくれました。

女将さんの亀井よねこさんは「開高健さんがお店に来られるときは、まったく偉ぶることがなかったので、お亡くなりになるまでそんなにすごい作家さんだとは正直知りませんでした。ご自宅にお肉の配達で行くと、そこで開高健さんから釣りのルアーや釣り上げた大魚の説明を受けました。開高健さんのお話を聞くうちに、イトウという魚があんなに大きいものだと知りました。今となっては何か記念に頂いておけばよかったかなという思いもあります。」とも話してくれました。

◆いつもの席で盛り蕎麦で腹ごしらえ 蕎麦屋さん「江戸久(えどきゅう)」

この地で約40年となる地元の蕎麦屋さん「江戸久」に開高健さんは週2回程度、「林水泳教室」に通う前に訪れていました。いつも「香川屋分店」のメンチカツを持って、のそっとお店に入ってきてお気に入りの席に座り、盛り蕎麦を食べていました。

店主の戸井田剛さんも、当初は有名な作家とは知らなかったそうで、サントリーのCMで「そうだったんだ」と分かったとのことでした。「開高健さんは盛り蕎麦を注文すると、持ってきたメンチカツを食べるためにソースを貸してくれませんかと言いました。盛り蕎麦と一緒にソースを出していたけども、ソースと蕎麦つゆはあわないんだけどな~と思っていました。お酒はまったく飲まず、いつもの席で外を眺め、静かにメンチカツと蕎麦を楽しんでいました。」と教えてくださいました。

開高健記念館の開館日になると、この「作家 開高健が気に入った席」に座られて、蕎麦を楽しむ開高健ファンのお客様もいらっしゃるとのことです。この入り口近くの席で、開高健さんのように扉の格子から外の風景を楽しみながら、静かに蕎麦を味わうのも粋なものではないでしょうか。

◆水泳を習い、お酒や料理で交流した「林水泳教室」

開高健さんはバックペイン(背中痛・腰痛)が治らないことから、体を動かして痛みを緩和させるために、この地で40年以上続く「林水泳教室」に通い続けました。会長の林正則さんは「有名な作家の先生が続くわけはないだろうと思っていたがやたらとまじめで、最初はほとんど泳げなかったが、3ヶ月もするとかなり上達して、100メートル、200メートルと目標を立てて泳ぐようになった。最終的には3,000mまで泳げるようになった。目標を達成するたびにお祝いをしたんだ。」と話して下さいました。

今もあるプールのコースで、開高健さんは泳いでいたそうです。泳ぎが上達するうちに、開高健さんからお礼がしたいと林正則さんへお話があり、それならお酒と食を教えてほしいとお願いをしたところ、「酒と食の研究会」が年2回程「林水泳教室」の事務室などで行われるようになったそうです。
「とにかく研究熱心で、物事は徹底的に追究せよ!という姿勢の強い方で、たとえば、ウイスキーを飲むにしても、安いものから、高いものまですべてを飲まなければダメだといわれ、本当に様々なお酒を飲み比べ、そのお酒に合う料理を食べた。」とのことでした。

「林水泳教室」の階段の壁面には、開高健さんが世界各地で釣った大魚の写真が飾られています。「とにかく大きなものを釣るのが好きだった。キングサーモン、ハリバット、チョウザメ、イトウなど。実は、一緒にモンゴルに釣りに行こうかと誘われていたんだけども、実現しなかったんだ。」と話して下さいました。

開高健さんはお亡くなりになる直前まで、水泳に限らず様々な形で「林水泳教室」に訪れ、林正則さんと交流されていたそうです。

◆先代大将と会話を楽しんだ寿司屋さん「すし善」

 

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この地で30数年お店を構える寿司屋さんの「すし善」に立ち寄り、寿司を楽しんでから自宅に帰るのが開高健さんのお決まりのコースだったようです。ただ、知らない人には会いたくないとのことで、暖簾をめくってお店にお客さんがいるとそのまま帰ってしまい、いないと入ってきたとのことです。また途中でお客さんが来ると、「ごちそうさん」と言って帰られてしまったんだそうです。
開高健さんは、現在の大将である冨田勝人さんが大学生でお店を手伝っていた頃に通われ、父である先代が開高健さんに寿司を握っていたそうです。

冨田勝人さんの話によると「偉ぶらないで、ラフな格好でお店にやってくる、とても眼光の鋭いのが印象に残るも、そんなにすごい方だとは初めは分りませんでした。ご自宅に配達に行くようになり、テレビで見て、すごい方なんだと分かりました。寿司については何が好きというものはなく、ショーケースに並んでいる魚を指し、これを握ってくれと指示が出て、おやじがそれを握っていました。
ただ、開高健さんのお母さんが作ってくれた太巻きが懐かしいらしく、おやじにいって特別に作らせていました。大阪出身で関西の太巻きを希望するので、関東では太巻きには使わない高野豆腐のような食材もあり、おやじにとって手間がかかって大変なものだったようです。」とのことでした。

その太巻きを開高健さんの生誕80年のときに、冨田勝人さんが特別に再現したそうで、冨田勝人さん自身作ってみて、改めて手間がかかって大変だったことを実感したとのことでした。

すし善

店内に飾られている開高健さんが贈った色紙

開高健さんは、先代ととても気が合ったそうで、先代の寿司を楽しみながら、店外に聞こえるくらいの大声で会話をしていたそうです。開高健さんは、海外に釣りに行くときにその釣った魚を食べるための料理人として、先代を「一緒に来ないか」と誘ったこともあったそうです。
ちなみに「すし善」店内には、開高健さんが贈った色紙が飾られています。
写真にある通りなかなかひねりの効いた文句が書かれています。お店に行って一見する価値ありです。

開高健さんが亡くなったのは1989(平成元)年です。開高健さんが茅ヶ崎に居を構え創作活動をしていたこと、日常、ラチエン通りを歩いていたことを知らない方も多いのではないでしょうか。

まずは、開高健記念館で開高健さんの功績や人となりに触れた後、“開高健さんぽ”をしてみてはいかがでしょうか。ラチエン通りの開高健さんの足跡を歩きながらたどり、「香川屋分店」でメンチカツやシューマイを食べ、「江戸久」で盛り蕎麦を頂き、「林水泳教室」まで歩いた後、来た道を戻って「すし善」で寿司を楽しんで、開高健記念館に戻る。あなたにも創作意欲や冒険心が湧いてくるかもしれないですよ。

また、開高健記念館の隣に2015(平成27)年に「茅ヶ崎ゆかりの人物館」が開設されました。加山雄三さんをはじめとする茅ヶ崎ゆかりの人物の足跡を知ることができますので、合わせてお楽しみください。

photo<開高健さんの略歴>
1930(昭和5)年、大阪に生まれる。
1949(昭和14)年、大阪市立大学法文学部法学科に入学し、文芸部に入部して著作に励み、1950(昭和15)年、20歳で処女作「印象生活」を発表。
1954(昭和19)年、寿屋(現サントリー)に入社して、宣伝部員として勤務。
1958(昭和33)年、「裸の王様」で第38回芥川賞を受賞し、その後、寿屋を退職。
1964(昭和39)年~特派員としてベトナム戦争の取材を行い、「ベトナム戦記」などを発表。
1974(昭和49)年、茅ヶ崎市東海岸南の地に書斎を構える。
1978(昭和53)年~釣りをテーマにした「オーパ!」を刊行し、世界各地で大物釣りを行う。
1989(平成元)年12月死去。享年58歳。

▼略年譜はこちらより
http://kaiko.jp/gozonji/

<アクセス>
▼開高健記念館
コミュニティバス「えぼし号」東部循環市立病院線 松が丘コース
「18 開高健記念館」を下車すぐ
神奈中バス 辻堂駅南口行き 辻02系・辻13系 「東海岸北五丁目」より約600m
普通車7~8台の駐車場と駐輪場も併設

▼ラチエン通り
コミュニティバス「えぼし号」東部循環市立病院線 松が丘コース
「10 ラチエン通り松が丘」を下車すぐ

 

開高健記念館
http://kaiko.jp/kinenkan/

茅ヶ崎ゆかりの人物館
http://peoples-museum.mana-colle.com/

ラチエン通り商店会
http://www.chigasaki-shoren.com/rd.htm


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