◇ 文化人たちが育んだ茅ヶ崎
今年で創業110年目を迎える「茅ヶ崎館」。地域を代表する老舗旅館で、国の登録有形文化財にも指定されている。きっかけは、明治時代より避暑地として名高いこの土地に、岩倉具視氏・伊藤博文氏・市川團十郎氏・川上音二郎氏をはじめとする政財界・歌舞伎界の重鎮が別荘を構えたことから。時代の変遷とともに、小説家・映画監督・ミュージシャンといった文化人が集い、今の湘南の文化を作りあげてきたといわれている。「別荘として通ううちに、茅ヶ崎の持つ風情に惹かれて本宅を構える方も多かったそうです」と、五代目ご館主・森浩章さん。巨匠・小津安二郎監督はその象徴的な存在。年に100日は脚本家とともに茅ヶ崎館に逗留し、戦後の名作『晩春』『麦秋』『東京物語』を書き下ろしたという。
◇ 地元の幸を積極的に取り入れて
歴史に裏打ちされた誇りは、食の随所にも垣間みられる。魚は、毎朝ご当主自ら地元の丸大魚市場へ足を運び、小田原・鎌倉・真鶴・葉山といった近海の幸からその日に提供するものを選ぶ。野菜は料理長が地場産のものから選り抜き、食事に合わせるのはもちろん地酒だ。「訪れて下さる方の楽しみは、その土地の風情や郷土料理ではないでしょうか。茅ヶ崎には、幸いよい素材がそろっています」と、森さん。年間500tの漁獲高がある茅ヶ崎では、実は伊勢エビやヒラメなどもあがるのだとか。「土地を代表する宿として、当館では地元の食材を積極的に取り入れています。たとえば、自然環境のよいお米と丹沢山系の水から作られた地酒。現在、3軒の蔵から選ばせていただいています。中には、お気に召したお客様がご自宅用に一升買って帰られるケースもありましたね」。料理を彩る木の芽や山椒、パセリといった香草類は、広大な庭の一部で栽培したもの。
◇ 湘南に息づく文化を"食"で体感
茅ヶ崎館は、昼食・夕食ともに完全予約制。緑豊かな庭園を眺めながら食事をしていると、時が経つのを忘れてしまう。夜のコースメニュー「金雀枝(えにしだ)」の名物は「カレーすき焼き」。小津監督が逗留されている折、最高級のおもてなしとして客人に自らふるまったもので、現在は葉山牛と独自に調合したカレー粉で再現されている。「湘南に息づく文化を、当館で体感していただけたら」と森さん。歴史ある旅館ながら一見も宿泊することができ、食事とともに楽しむ活弁シネマライブをはじめ、各種イベントを開催。風格を保ちつつも"開かれた" 懐の深さを感じさせる。文化の息吹を、まずは食で体感してみてはいかがだろう?